夕張線現役蒸機の最後の5日間 
忘れ得ぬ5日間 最後の蒸機列車を求めて・・・
2005年12月24日(あの日から30年後のクスマスイブに記す)


当時の撮影メモ、道内時刻表、SLダイヤ情報

●出発前のこと
  高校に上がって初めての冬休み。知人たちと、尾小屋鉄道へ行こうと相談していたら、「15日以降も夕張線に蒸機列
車が残るらしい」と言う情報が入ってきた。もちろん、行き先は北海道へ変更。でも、お小遣いは15000円ぐらいしか
ない、なんとかなるか・・・期末試験が終わるのが待ち遠しい。

12/11
  大切なときに、かぜをひいてしまった。しかも期末試験まで休んでしまった。これでは進級もおぼつかない。

12/13
  友人たちは、出発していった。いっそ、このお金で引き延ばし機でも買おうかと、考え始める。

12/14
  テレビで、C57135の蒸機牽引旅客最終列車の報道をしているのを横目で見ていた。

12/16
  一旦風邪が収まると、いてもたってもいられない。
  親もムリはするなと、引き止めた。でも、言い出したら聞かないのは知っている。

●出発
12/18
   悩んだ末、急行「きたぐに」の客となった。
  周遊券を買ったので、ポケットには、もう5000円ぐらいしか残っていない。
  でも小遣いを持たずに出ようとする私を心配した母親が「もしもの時はこれを使いなさい」と、お金を入れた小袋をジ
ーンズに、縫いつけてくれた。今から思うと、親不孝な事をしていたのかもしれない。

  一人旅のつもりだったが、大阪駅で並んでいるときに、声を掛けてくる青年が居た。K氏だった。
  これから夕張へ行くという。私が先行している友人たちからの情報を伝えると。15日以降も夕張に残るか半信半疑だ
ったようで、安心したようだ。K氏と同行することとなっていた。
  
12/19
   ほとんど、定刻で運転していた急行「きたぐに」は、青森が近づいてから、多少の遅れを出していた。われわれは、
青森19:25発の27便なので、少しぐらい遅れても問題ない。急行列車からの接続は、余り良くなく、余裕が有るから
だ。
 

 
12/20
   苫小牧で「ずすらん」を捨て、苫小牧5:03発の夕張線直通の4721Dで夕張線に入る。これから毎日お世話にな
る、うってつけの列車が有ったものだ。


1791レをまず滝ノ上で押さえた後、紅葉山へ行く。木造の給水塔が美しい。
その後、滝ノ上〜川端間へ行くが、ここは成果としてはいまいちだった。

こうして、旅の初日は、無事終わった。心配していた体調も、問題ないようだ。あきらめかけていた、生きている蒸機へ
の再会が出来て、満足だ。


   宿代が無い私は、確実に暖が取れる方法として、次の方法をとった。
  今夜から、札幌から44列車に乗って、2:14発のすずらん4号に乗り換え、苫小牧5:03発の夕張線直通の4721D
へ乗り継ぐ。 K氏は苫小牧のユースに泊まるという。



12/21
  今日も滝ノ上から始める。その後、清水沢で、三菱石炭鉱業のDLと一緒に取る。午後からは終日紅葉山で撮影。実
に好ましい駅構内だった。終日紅葉山で撮影することした。




知人たちは、終業式へ登校するため、今日を最後に帰って行った。
  私は、親に「最期の日まで、北海道に居るから」と連絡を入れた。
  夕食はK氏と2人でラーメンを食べる。44列車では「昨夜はよく寝たから、長万部までゆっくり寝てくれ」と言ってくれ
る、有り難い。



12/22
  今日の1791レは雪模様で、露出が苦しい。
  天気も悪いし、一旦夕張へ行き、ホッパーを眺めてくる。





紅葉山へ戻り9797レを撮影した。
  もしかしたらもう会えないかもしれないと、ここで2人で記念撮影をした。




12/23
   果たして、K氏は4721Dに乗り込んで来た、私を見つけると、今日も一緒に行こうと言う。今日の1791レは603
番だ。最後の苗穂全検出場車だけに、きれいだ。

清水沢までDCで追いかける。車内で、銀箱を持った闖入者に対して、地元の高校生が、迷惑そうだ。
でも、もうすぐ誰も来なくなる・・・紅葉山で、5782レ、9797レを押さえた後、川端の鉄橋へ行く。
今となっては、なにげなく撮った駅構内の方が懐かしい。


紅葉山〜十三里 5782レ



川端駅進入 9799レ


K氏は今夜はユース泊だ。私は1人、44列車だ、最期の日に備えて、カレーライスを自分におごった。



●最期の日
12/24
   いよいよ、今日は最期の日となった。
  その後の人生で、毎年のように思い出す特別な日になるとは、まだ知るよしもない。
  
  まず1791レを滝ノ上で押さえた後、鹿ノ谷に追いかけた。快晴の斜光線となった。
手応えは充分、最期の日の滑り出しとしては快調だ。これが、後に弊Webサイトのトップページの画像となった。

鹿ノ谷を出発する1791レ


夕張鉄道のDLを脇目に一旦夕張へ行き、様子を確認する。
  午後からの3列車は、南清水沢付近で撮影した。5792レと5797レは立て続けにあっけなく走り去っていった。

南清水沢〜清水沢 5797レ


  昼間の最後の列車となる、9799レは「ゆっくりと眺めたい」ということで、俯瞰撮影することにした。かねてから目をつ
けていた遠くを見渡せる丘の上に陣取った。北の早い夕暮れの中、ゆっくりと眺めることが出来た。

沼ノ沢〜南清水沢 9799レ 昼間の最後の列車(D51241)


 最終列車をどこで、見送るか? K氏はどう思ってるのかと問うと、「やはり夕張や」と言うことで即決した。 構内に
は、大きく分けて2列に分かれて、三脚が並んだ。 私が陣取った、後列からは、前列の人達が入るのだが、もめるよう
な人は、もうここには残っていないようだ。寒い中、カメラが冷えすぎないか気遣いながら、これまでの事を、友人たちと
語り合った。私の現役蒸機とのつきあいは、和歌山線に撮影に連れてもらってから、約4年間。ほんの数回のことだっ
た。でも、こうやって最期の時を見届けられることとなったのは、うれしいことだ。
 


   静かにその時はやってきた。
  誰が流すのか、蛍の光が流れる中、19:10ほぼ定刻に6788レは発車した。
D51241の汽笛が、いつもよりずっと長くなり、日本の鉄道史上最後の蒸機列車が動き出した。
感余って、子供を背に、列車と一緒に走り出す人も出てきたが、もとよりそんなことで怒り出す人も居ない。
思い思いに、感謝の言葉を機関士たちに掛ける人の声が、今でも耳から離れない。

夕張を発車する6788レ (ASA1600に増感撮影)

数量のセキを連ねた列車が目の前を通り過ぎ、テールライトが見えなくなるまで、
だれもその場を動こうとはしなかった。


とうとう終わってしまった。
 
  夕張駅に戻って、暖をとった。だれもが言葉少なに、妙に静かだった気がする。 気がつくと、ずいぶんおなかが減
っていた。今日は持参したチョコレートを1かけら食べただけだった。夢中で食べることを忘れていたようだ。 ポケット
をさぐると、まだ1000円札が残っていた、これで充分だ。


・・・・・・


  K氏は、函館駅まで見送ってくれるという。彼はこの後、追分に戻って9600をもう一度見てから帰るらしい。
 
  あのK氏とは、再会を約して分かれたが、何度目かのお正月の年賀状が、宛先不明で戻ってきたきり・・・


 
 「夕張で蒸機最終6788列車を偲ぶ会」へ捧げる 
2005.12.24記す
  
あの日からちょうど30年


追伸
K氏へ
もし、このページを見かけたら、ぜひ連絡下さい。
そして、あの時の記念写真を下さい・・・
最後の年賀状は、サロマ湖畔ユースからでした。お名前は「康之」さんです。

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